記事 『大震災4年:津波で孫や家族失い…愛犬と再び歩む76歳』
2015.03.10 *Tue
ネットのニュース見ていて、こんな記事が目に留まりました。
大震災4年:津波で孫や家族失い…愛犬と再び歩む76歳
毎日新聞 2015年03月09日 07時30分(最終更新 03月09日 08時48分)
<一部抜粋>
東日本大震災の津波で妻と娘、孫2人を失い、仮設住宅で暮らす宮城県東松島市の川上由夫(よしお)さん(76)が、集団移転先の住民と一緒に、ペットを通じた交流団体を設立した。自分を責める日々から救ってくれたのが、ともに生き残った愛犬のビーグル「トワ」(7歳、雄)がくれた人とのつながりだった。震災から4年。「自分が今も苦しむ人を支えたい」と思えるようになった。
車3台で逃げようとした。和子さんの車には龍君、真弓さんの車には聖君が乗った。「トワを頼んだよ」。和子さんの言葉で、川上さんはトワを乗せ、エンジンをかけた。
川上さんの車は前部が沈み込む形で波に浮かんだ。トワを抱きながら車内で一晩を明かした。「雪が降る寒さの中、トワの体で温められた」。車が打ち上げられたのは約1キロ内陸部だった。
1人残された川上さんは避難所でふさぎ込んだ。11年9月に移った仮設でも生前の家族の姿が忘れられず、酒の量が増えた。生きる目標を失っていた。
そんな生活を変えてくれたのが、妻に最後に世話を託されたトワだった。名前は「幸せを永遠(とわ)に」との願いを込めて孫が付けた。
散歩に連れ出すと、出会う住民が声をかけてくれた。仮設内で会話が徐々に増えていき、動物保護のボランティアの人たちとも知り合った。13年12月にはボランティア団体の誘いで、名古屋市内で体験を語った。いつしか、つらい過去を大勢の前で話せるようになっていた。「トワがつないだ人との縁で前を向けた」と思う。
*****
この方の入った仮設は、しっぽ家族との同居を認めてくれるところだったのですね。
よかった・・・。
こういう、生き残った「ペット」の世話をすることで、孤独や自責から来る死を乗り越えられた人の話は、阪神淡路の時にも聞きました。
中越の時は、牛さんたちも一家そろってお引っ越ししたから状況は違うのだろうけど、小さなしっぽ家族が、癒しや生きる意味をもたらしてくれて、時間はもちろんかかるし、痛みや傷がなくなるものではないけど、すこおしうすくなってくれたりするものだと思うの。
私だって、こんな大きな震災とは比べようもないちっぽけなことで、生きるってことを考えたことも何度もあるし、半歩踏み出しちゃったことだってある。
でも、それを思いとどまらせたのは、当時のお嬢。
動物がいることで、なんとか踏ん張ってくれる人が、いるのは確か。
苦手だったりアレルギーだったり、嫌いな人はもちろんいるだろうし、大きな犬や多数の動物など、なにもかもOKとはいかないだろうけど、
いまもなお、仮設や借り上げで頑張ってる方たちが、
しっぽ家族と暮らしたいと願う方たちの思いが、
なんとか、もう少し、、叶わないものかなあ・・・。
大震災4年:津波で孫や家族失い…愛犬と再び歩む76歳
毎日新聞 2015年03月09日 07時30分(最終更新 03月09日 08時48分)
<一部抜粋>
東日本大震災の津波で妻と娘、孫2人を失い、仮設住宅で暮らす宮城県東松島市の川上由夫(よしお)さん(76)が、集団移転先の住民と一緒に、ペットを通じた交流団体を設立した。自分を責める日々から救ってくれたのが、ともに生き残った愛犬のビーグル「トワ」(7歳、雄)がくれた人とのつながりだった。震災から4年。「自分が今も苦しむ人を支えたい」と思えるようになった。
車3台で逃げようとした。和子さんの車には龍君、真弓さんの車には聖君が乗った。「トワを頼んだよ」。和子さんの言葉で、川上さんはトワを乗せ、エンジンをかけた。
川上さんの車は前部が沈み込む形で波に浮かんだ。トワを抱きながら車内で一晩を明かした。「雪が降る寒さの中、トワの体で温められた」。車が打ち上げられたのは約1キロ内陸部だった。
1人残された川上さんは避難所でふさぎ込んだ。11年9月に移った仮設でも生前の家族の姿が忘れられず、酒の量が増えた。生きる目標を失っていた。
そんな生活を変えてくれたのが、妻に最後に世話を託されたトワだった。名前は「幸せを永遠(とわ)に」との願いを込めて孫が付けた。
散歩に連れ出すと、出会う住民が声をかけてくれた。仮設内で会話が徐々に増えていき、動物保護のボランティアの人たちとも知り合った。13年12月にはボランティア団体の誘いで、名古屋市内で体験を語った。いつしか、つらい過去を大勢の前で話せるようになっていた。「トワがつないだ人との縁で前を向けた」と思う。
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この方の入った仮設は、しっぽ家族との同居を認めてくれるところだったのですね。
よかった・・・。
こういう、生き残った「ペット」の世話をすることで、孤独や自責から来る死を乗り越えられた人の話は、阪神淡路の時にも聞きました。
中越の時は、牛さんたちも一家そろってお引っ越ししたから状況は違うのだろうけど、小さなしっぽ家族が、癒しや生きる意味をもたらしてくれて、時間はもちろんかかるし、痛みや傷がなくなるものではないけど、すこおしうすくなってくれたりするものだと思うの。
私だって、こんな大きな震災とは比べようもないちっぽけなことで、生きるってことを考えたことも何度もあるし、半歩踏み出しちゃったことだってある。
でも、それを思いとどまらせたのは、当時のお嬢。
動物がいることで、なんとか踏ん張ってくれる人が、いるのは確か。
苦手だったりアレルギーだったり、嫌いな人はもちろんいるだろうし、大きな犬や多数の動物など、なにもかもOKとはいかないだろうけど、
いまもなお、仮設や借り上げで頑張ってる方たちが、
しっぽ家族と暮らしたいと願う方たちの思いが、
なんとか、もう少し、、叶わないものかなあ・・・。
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